<命を見つめるシゴト>
■ 私は知らなかった。
こんな壮絶な<命を見つめるシゴト>だったなんて・・・
オトナの社会見学というような、仕事柄の縁もあって、
ある東京の乳幼児病棟の日常がどんなか、
腕のいいベテラン看護師さんに
その現場のナマ話を聞くことができた。
ショッキングな話ばかりだったが、
彼女は淡々と話をするので、逆に救われた。
(仕事柄、プロってそんなものか・・)
私のシゴトはフツウな赤ちゃんとママの笑顔が対象だ。
幸せを扱うシゴトなのだという変な誇りがあって
彼女たちの仕事は、かわいそうだなあ・・
恵まれない巡り合せもあるんだんなあ
そんな同情とか哀れみに近いキモチで
やはりジブンのこととして考えることはできなかった。
「五体満足」がいかに幸せか?
「健康・元気」がどれほど、尊いのか?
「フツウ」はなんて、すばらしいのか?
そこに思いをめぐらすのが精一杯だった。
■ 数百グラムの超未熟児も生きるている、生きようとしている
点滴の針が刺され、呼吸器の管が苦しそうに口についている。
そこここに包帯が巻かれている。
看護師さんたちは優しい眼差しで
大きな明るい声をかけてお世話をしている。
そばで、たたずむご両親もニコニコしている。
なぜかと聞くと、
「赤ちゃんの調子が良くて今日はラクそうだから」だと・・
そして、
「こんな子達でも、生きようという意志がないと
生きられないんですよ」
と・・
大きくショックだった!
↓写真は元気な甥っ子の「ガクト」クン
■ 何が「ない」のかじゃなく、何が「ある」のか!
彼女たちのコトバが耳に残っている。
「フツウの人たちは何かがないと
『かわいそう』とか『不幸だ』とかいう。」
「ミルクが飲めた、体重が増えた、退院できた。
障害が残っても、ママがいなくても
命があるだけで、幸せをかみしめる家族の姿があるの!」
<いま・ここ>に生きる喜びの何かひとつがあると
そう、そのあるモノをすごく大事にする。
「それだけでも、ちゃんとハッピーでいられるの。
幸せってあるべきものがなくたって、本当はそこにあるのよ。
気づかない人が多いけど・・」
コトバを続けられなかった!
■ 「いなくなりました」「ありがとう」
「一生の特別な宝物です」
ある赤ちゃんのご両親から送られた
看護師さんへの一通の感謝の手紙と
数枚の写真を大切に見せてくれました
写真は
①娘をはじめて抱いたうれしそうな若いパパ
②はじめてお風呂にはいる気持ち良さそうな赤ちゃん
③ママと看護師さんと赤ちゃんの3ショット
手紙は
「誕生から数ヶ月間で『いなくなりました』
でも、皆さんとともに一生懸命『生きました』
あなたに看てもらってる娘はうれしそうでした。
アリガトウございました。一度家にきてください。」
と・・
ご両親は、看護師さんにありったけの感謝を手紙に記した。
内容は両親と看護師さんとの間にできた、
愛情の絆へのお礼だった。
看護師さんは一言も「誇り」を語らなかった。
最後に、
「毎日、毎日のシゴトをチャンと
やり遂げるのが私たちのシゴトよ。」
なんというシゴトへの思想
<命を見つめるシゴト>
ワタシはこんなフレーズを思い出した
「貧しいときも富めるときも。病める時も健やかなる時も。
わが身が滅びるときまで・・・」

